お節介はうんざりなんです(1)

2011年07月29日(17話放送後)
    帰省の日の朝、虎徹の家にバニーが自分の写真集届けに行く話。

 

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歯磨き、ひげ剃り、洗顔。髪を撫でつけ、いつもの一張羅を身に纏い、靴下は左足から。
持ち物、は確認するまでも無い程に少ない。このまま普段通りに出勤するならば。
こんな日は、何時以来だっただろうか。
いつもよりも少し早い時間で、しかしいつもより何故か腰は重く、確認の必要があるはずの鞄の中身を開けて見るのも何処か億劫だ。
習慣化した日常なら、多少億劫でも――たとえ二日酔いで体が重くても――余計な思考に息を止めて、扉を開けてしまうのだけれど。

前に取得したのは何時だったか。久方ぶりの休暇、まさに初日の朝。
生家へ帰る日。家族の顔が見れる。嫌な筈が無い。拒んでいたのは、必要と差し迫った変革の方をだった。
その糸口を見出したいと縋り付きに行くつもりなのか、突き付けられた期限から目を背けたいだけなのか、どちらとも敢えて定めず、のらくらと立てた予定だ。通らぬなら通らぬでも良い。しかし通ってしまった。意外に思う程の熱心な協力者も有り、その末、結構な日数の休暇を携えての帰省となった。

腕時計と壁掛け時計とを見比べながら、部屋の真ん中で独活の木のように突っ立っていた。
その虎徹が、出て行くべき扉へ視線をのっそりと投げかけた頃合いである。まるでその視線に応えるようにして鳴り響いたのが、扉の向こうからのドアベルの音だった。
「あぁっ?誰だよ、こんな朝っぱらに」
その独り言も、もしかしたら外に筒抜けだったのかもしれない。
『僕ですよ』
インターホンを繋げた瞬間に寄越された答え。
カメラへずいっと身を乗り出し覗き込む彼の方からは、モニターの前に立つ虎徹の様子は窺えないはずだったが、しかしもしかしたら、との感覚さえ呼び起こさせるような透明感のある瞳が挨拶を寄越す。
『おはようございます、虎徹さん。やっぱりまだ居たんですね。そろそろ出発した方が良い時間なんじゃないんですか?』
「お、お前っ……バニー!『まだ居たんですね』じゃないだろ、バニーの方が、何でここに居るんだよ!」
時計を見た。腕時計と、壁掛け時計との両方を。出勤の時間帯にはなりかけていた。しかし、時間が如何という問題でも無かった。

「俺、今日から休暇だぞ?仕事、休み」
「分かってますよ」
ドアを開け向かえたバーナビーは無論心得てここに来たと、当然だとばかりに、素っ気なく答えた。
「お前は、仕事」
「分かってますよ」
何かのセールスに来たかのような強引さで自然を装い玄関を跨ぎ部屋の中へ押し入るバーナビーを、待て待て、と押し返す。
「俺ももう出るの。お前は今日は仕事、分かってんなら回れ右!」
押し返されてどん詰まったバーナビーはそれでも身を乗り出し背を伸ばし、中を窺い見ようとしている。
「帰省の準備はできてるんですか?」
「余計な心配、いいから!」
「着替えも持ちました?髭剃りは、整髪料は」
「持った持った!」
グイグイ、と両者共に引かぬ攻防。
「お土産は?」
「あっ……」
バーナビーが一歩間合いを詰める。
「ほら。虎徹さんは必ず何処か詰めが甘いんですから」
「いっ……いいんだよ!自分んちに帰るだけなんだから、土産なんて!」
一瞬の隙で勝負はついたようだった。バーナビーが虎徹の陣地に着地し、キュ、と靴底を鳴らして半回転、振り返って鼻高々と仁王立ちを決めている。
虎徹は整えたばかりの頭をガリガリと掻きながら溜め息を吐く。バーナビーはフンフンと鼻を鳴らす。
「まぁ、そんな事だろうと思いましたからね。お土産を持って来たんですよ」
「うそッ、マジ?」
ジャカジャカとBGMが鳴りそうな勿体の付け方をして、
「シュテルンビルト名物……」
バーナビーが、その便利さ故に四次元とも噂される背面に手を伸ばしてジャン、と取り出したるは、
「クォータークール最多ポイント獲得記念、バーナビー・ブルックス・Jrスペシャル写真集――」
「んなもん、要るか!」
猫パンチの素早さで引ったくる。
「何でですか」
「何処がシュテルンビルト名物なんだよ、これが!」
「ヒーローが平和を守るシュテルンビルトの最高のお土産じゃないですか」
「却下!」
ほんの少し期待をしてしまったような気がする。洒落っ気の利いた菓子折りか何かを用意して早朝にわざわざ訪ねて来たバーナビーを「流石相棒」と誉め、親指を立てて拳を打ち合わせる――、そんな心の準備をやりかけていた自身に何より失望して、虎徹はぐったりとその場にしゃがみ込んだ。現実の頼もしい相棒に目を遣る。溜め息がまた抜け出る。
「娘さんのポイント稼ぐチャンスじゃないですか。この間、『俺のドリームはうちのチビに格好良いって言われることだ』って……」
娘は、この頼もしい上にキザでいけ好かない相棒であるバーナビーのファンなのだそうだ。『かぁっこいいバーナビー』なのだそうだ。
「何で『格好良い』って言われる為のポイント稼ぎで、俺じゃない男のことを『かぁっこイイっ』って言わせなきゃなんないんだよ」
「皮肉なものですね……」
「お前だよ!」
コンビとして度々、こうしたアイドル紛いの仕事にも付き合わされ現場を見ている虎徹としては、また別に気に食わない点があった。
「だいたいな、うちのチビはまだ10歳なんだぞ?」
同じ男としては何が魅力なのか理解はできないが、曰わく『サービス』らしい、水着の類の際どい衣装のショット、父親として小さな娘に見せたいと思えるものではない。
「そのくらい、分かってますよ」
バーナビーは「その点では何ら問題の無い写真集」「僕を疑ってるんですか」と並べ立てるが、娘に関わる事となれば、そう簡単に信用する訳には行かない。相棒の関係を離れ、“男”を疑う父親の目としての虎徹の厳しいチェックが入った。
「おい、これは何だ」
「いつもの服じゃないですか」
「流し目で口が半開きなのが“バーナビーの素顔”なのか」
「そうですよ。ほら、オフでの僕はいつもこんな……」
「はいはい。分かったから、実演するんじゃねぇ」
問題のあるページは後で抜き取ってから渡そうと、印しの為に小さな折り目を付ける虎徹の前でバーナビーはわざとらしく肩をすくめて呆れてみせている。
「あのね……虎徹さん。10歳の女の子なんて、もう立派なレディですよ」
「うるせ」
「そんなんだと、かえって嫌われてしまいますよ」
「お前が、うちのチビの何知ってるんだよ」
バーナビーはまたわざとらしく、長い長い溜め息を吐き出し、そして手を伸ばして、折り目がいくつも付けられた写真集をひょいと取り上げた。
「あっ、何すんだ」
誰が何と言おうと愛おしい娘を守るのは自分であると虎徹は威嚇の姿勢をとった。それも全く意に介さずといった涼しい表情で、バーナビーは写真集の表と裏とを眺め、虎徹に視線を戻し尋ねる。

「娘さん、お名前は?」
「へ?」
身構えていた虎徹は予想のしなかった質問に幾分拍子抜けして首を傾げる。
「あなたのおチビさんのお名前を聞いてるんですよ」
「あ、あぁ。『楓』……」
「Cadeen?」
「カ・エ・デ!」
「Kaede……」
娘の名前を出した事は無かっただろうか、と虎徹は思考を巡らす。
出したか出さないか、おそらくはどちらにせよ、彼のことだから聞いたとしても大して興味も無く忘れてしまうだろう。そんな結論を出しながら、興味が無いだろうと、それを前提に独り言のように呟く。
「『楓』ってな、Mapleっつー意味でなぁ」
虎徹は何処にともなく投げたつもりだった。しかしバーナビーは何でも無いような自然さで会話を拾い、投げ返して来た。
「なるほど。秋生まれで“Maple”ですか。良い名前ですね」
意外だった。受け取り損ねたのは虎徹の方だ。蹴躓いたように体勢を崩して口をあんぐりと開け、バチバチと瞬く。
バーナビーが虎徹の様子に顔をしかめた。
「間違ってました?」
「いや、何で知ってんの?楓の誕生日」
バーナビーの顔はますます厳しくなる。
「知ってちゃいけないんですか」
「俺、言った?」
「……先月、言ってたじゃないですか」
「先月?……何で覚えてんだ?」
「覚えてちゃいけないんですか」
瞬きながら考え込み、先月の娘の誕生日にそんな話をしたような、微かな記憶を呼び寄せ、しかしよく覚えてるなぁと関心し、続いてよくよく考えてもみれば、最近は随分と多くの私事の会話を互いに交わしていたようにも思い起こされ、それ以前は一体如何だっただろうか、また記憶を更に過去へ遡らせる。そして、自然と緩む口元を指先でポリポリと掻きながら、宙へ漂わせていた視線をなんとなくバーナビーの横顔に戻した虎徹は、更に手元まで目線を落とし、「あっ」と大声を上げた。
「何書いてんだよ!」
バーナビーから写真集をひったくり返しながら、再び「アァっ」と叫び上げる。
「サインですよ、娘さんに」
「どうすんだよこれ!」
「渡して下さい。お土産に」
娘の名前までしっかり入ったサインが堂々と踊る表紙。「あぁ」と嘆きしか出て来ない。毎日顔を合わせる相棒がわざわざ出発の朝に書いて渡してくれた?そんな事実言えるわけがない。自分がヒーローをやっているとさえ、娘には明かしていないのだ。
「渡して、って……何て言って渡しゃいいんだ……」
「拾った、とか……」
その上諸悪の根源はこんな時に限って、普段の真面目な優等生の顔に暇を出してしまっているらしい。虎徹はグゥと唸りながら頭を抱えた。到着までになんとか言い訳を考え付かなければ途中の電車の中にでも置いて来てしまおうと決める。
「しかも相変わらず汚ぇ字……」
「そういう所があった方が親近感が沸くでしょう?」
「いっつも思うんだけどさ、その自信ってどっから来んの?」
「目に見える実績から、ですかねぇ」
わざとらしい厭味を込めさせてみせたバーナビーの言葉は、何ということの無い戯れ事のような軽口の延長だった。
それが虎徹の視線を写真集の表紙に書かれた一文に引き寄せさせる。

『Active Latest Invincible Hero Legend』

手の平でゆっくりと丁寧に、積もった埃でも払うような動作でその部分を擦った。新品の冊子だ。何か変わる訳でもない。文字が消える筈も無い。
(レジェンド、か……)
目に見える実績と、目の前に突き付けられる期待と、内側から失われて行く自信と。英雄レジェンドを悲劇が襲ったのは極稀なケースだったのだろうか。“力の減退”。それはいずれ誰しもを襲う現実ということは。

虎徹は顔を上げた。「バニー、お前は」そう、何か言葉を掛けようとしたのだった。
「虎徹さん」
虎徹が声を発するより先にバーナビーの声が放たれる。開いた口は閉じられ、息を飲んで終わった。閉じたまま、「うん?」と応える。
「肩の力、抜いたらどうです?」
「へっ?」
頓狂な声がまるで自分の声では無いかのように頭の後ろの方から上がったような気がした。
「な、な、何だよそれ、誰が肩に力入ってるって?」
先に遮られなければ、その言葉は自分の方から掛けようと思ったものだ。『あまり今の自分に縛られるな』と。レジェンドのようにならぬよう。
まるでベンから虎徹に与えられた忠言そのものではあったが、その忠言をバーナビーから虎徹に与えられよう言われはない。彼にはまだ何も告げていないのだから。それなのに、
「全く……バレバレなんですよ」
バーナビーは透明な瞳で虎徹を射抜く。顔が引きつるのが止められない。唐突に何を言うのか。そう笑い飛ばすことができなかった。
隠し通すのは無理だったか。疾うに気づかれていたか。

観念、そのことが虎徹の胸から喉を通り吐き出されそうに、寸で極まったところだ。
「そんなに娘さんの評価が怖いですか?」
「ふぇえっ?」
『観念』の二文字は喉から鼻へと抜け出て言葉にはならず奇妙な音になって宙に消えて行く。眉間を厳しくしたバーナビーの鼻の先を素通りして。
「自分んちに帰るだけなんだから、って自分でもさっき言ってたじゃないですか。そうやって堂々としてれば良いんですよ。何をそんなにビクビクして。かえって情けない。虎徹さんらしくもない」
ずい、とバーナビーの顔が迫る。インターホンのカメラを覗き込む時のようにして、まるでこちらを全て見通しているような、真っ直ぐな透き通った瞳が虎徹を覗き込んでいる。
そちらから、こちらの様子が窺えるわけが無いのに。
「いいですか。虎徹さん、もう良い歳なんですよ。オジサンなんですよ。まだまだ若い僕と違って、オジサンはもう、在るもので勝負するしか無いんです。無いもの、見栄張ろうとしたって無駄。かえって見苦しいものですよ。そんなんじゃなくて、堂々と今持ってるものに自信持って振る舞えば、それだけで格好良いんじゃないんですか?」
虎徹はポカンと口を開け、決して格好良くは無い間抜け面で若者の難解な叱咤激励を拝聴していたが、不意に彼の言わんとする意図の全てを理解し、ブゥっと吹き出して笑い出した。バーナビーは虎徹の唾がひっ掛かったのだろう、「うわっ」と叫んで飛び退いた。その様子を見て虎徹は更にワハハ、と笑い声を上げる。
「バニーちゃん、最近可愛い気たっぷりだよなぁ」
「何言ってんですか。僕は最初からこんな感じに可愛い気たっぷりですよ」
「その癖、基本的には変わってねぇの。な?」
本人に意見を求めながら、虎徹は顔を背けようとするバーナビーの周りをグルグルと回る。バーナビーが声を荒げて拒絶を示すまで。
「自分で言って、照れてんの、なぁ?」
「ちょっと持ち上げたからって、調子に乗らないでください」
「んんー、お陰様で“調子”戻っちゃったっぽいんだけどね」

苛立たしくなる程皮肉っぽくて、笑ってしまう程鈍くて、恥ずかしくなってしまうような気遣いを寄越す、今誰よりも頼りにしている無二の相棒。
だからこそ、彼にも同じように思われたいし、並んで居るために見栄だって張りたくなる。今暫くの僅かな間だけでも良い。
それが、失いこそすれ得ることは無い、刻々と磨り減って行く在るだけのもので勝負しなくてはならないオジサンの、改め難い性分なのだ。
(分かってくれんだろ?バニー)
言葉無くとも何時だって一番欲しい動きを寄越してくれる相棒だから、分かってくれるだろう。
いずれ“何か”を決断して、全て打ち明けた時にも。

「なら、さっさと行きますよ。虎徹さん」
「行きますよ、って、俺はこれから田舎帰んの!お前は仕事!」
もうこんな時間かと叫び、慌てて荷物に手を掛けようとすれば、その手はスカと空を掻く。代わりにバーナビーの手の中にそれは渡っていた。
「途中まで送ります、って言ってるんですよ。そこの地下鉄からじゃ乗り継ぎが大変でしょう?」
「はぁっ!?」
「まさか、それだけ届けに来たと思ってたんですか?」
「いや、だってお前、時間!ロイズさんに怒られちまうぞ」
「平気ですよ。ロイズさん、最近とんと甘いんですから、少しくらい」
「けど……よぉ……」
「ほら、さっさとして下さい!」
鞄の中身は結局確認しないでしまった。しかしきっと、何度確認した所で何かしら抜けているものがあるのだろうし、ならば初めから忘れ物だらけのミスばかりの旅と覚悟して出発した方が、この先何に遭遇しても越えて行けるのではないかと、そう考えながらバーナビーに続いて扉の外に出れば、足はずっと軽くなっていた。
普段は排ガスにくすぶった街が朝の冷たい空気の中に澄み渡って虎徹に暫しの別れを告げる。虎徹には惜しむ気持ちを抱かせようと、反対に、自分はこれっぽっちも寂しくなどないと、精一杯のすまし顔を作っているかのようだった。

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