一年後(仮) 2
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チキンを皮だけ剥がして食べ、ケーキをキウイだけ引っ張り出して食べたカーランは、ジーンズを履いたままでベッドに潜り込んだ。 「寝るのかよ!」 「何時だと思っている!」 「クリスマスはこれからだぜ?」 「阿呆か、一人でやっていろ!」 シグルドはむくれ顔を作りながら、布団の中へと忍び込む。丸まった背中をこじ開けるように腕を伸ばして、暫くは二人で力比べ。 「いいの?寝たら明日になっちゃう。そうしたら俺、……」 「帰るんだろう。帰れば良い、今からだって歩ける所まで歩いてみたら良いじゃないか」 「今は帰らないよ。明日までカールと居ようって決めたんだ」 「お前が勝手に決めただけだろう」 「なぁ、寝たら明日になっちゃうんだぞ。いいの?」 「知らん!なれば良いだろう!」 「ちゃんとしたクリスマス、まだやってないのに」 卑怯な手が、存外効いてしまったのだった。カーランはシグルドの腕でぱっとひっくり返されてしまって、丸く開かれた瞳は、すぐに自由だと気付いたのか反らされ、まさにそれは承諾の合図であった。 「思い出した?まだ残した事あるよな」 「意味が分からない」 「全部そのままで取ってあるんだろ?」 「もう疲れた」 「カールどっちしたい?」 「何もしない、寝る」 「俺、準備して来るよ」 「一人で勝手にやっていろ」 シグルドが力を緩めた腕の中でくるりと身を反転させてしまったカーランに布団を被せ、また念の為にテレビも付け、『準備』に取り掛かる。『お道具』は予想の通り全てそのままで保管されていて、しかしひとつ、新品だったはずのものの口が開いていた。12個入りが、10個しか入っていない。 (あの畜生……) 振り返ってその畜生の影を睨んだ。 まるで眠ってしまったように、その影は少しも動いてはいなかったが、まさか眠ってしまったはずはないのだ。シグルドはテレビを消して、その影にのし掛かった。 「なぁ、女?」 「他に何があるんだ」 少しは悪びれて欲しいものだったが、そう要求できる理由は思い付かない。シグルドは口を尖らせながら布団をほじくり、更に問い質す。 「可愛いの?」 「さぁな、そんなもの万人が同じ評価な訳ない」 「おっぱいは?」 「C」 「うん、そうだよな」 万人がまず可愛いと言う容姿で万人がまあ良いという大きさの乳房で、悪目立ちせず上品な性格で、 「今度紹介しろよ」 「……どういう風にだ」 「今度3人でやりましょう、みたいな」 「阿呆」 クリスマスに一緒の時間を過ごす必要のない関係を了解している女性。 それは喜んで良いのだろうか。 ここへ自分が来た時、彼に大切な時間を過ごす他の者が居たら。どうしようか結論は出ていなかったが、今思う。ならばその者を歓迎して、共に過ごせば良いだけだと。阿呆な考えとも思わなかった。彼が真に心寄せる者ならば、自然とそうなろうと、疑いもしなかった。 3人でセックスを、と持ち掛けるかどうかは、別であるが。 「準備、して来たよ」 美肌になってしまう気がすると言いながら、ほじくり出したほかほかのカーランの頬に冷たい頬を擦り付け、耳にも、鼻先で触れる。暖かくて柔らかくて、つい堪えきれず、二つ折りにして 「ギョーザ」 とやってはねのけられた。 「カールの方は準備できたのかよ」 「何の」 言わずもがな、こちらの準備を。 瞬間掘り当てたお宝を掴み取り、今度ははねのける程度では許されなかった。二の腕の筋をピンポイントで抓り上げられ、「痛い」と悲鳴を上げたシグルドに、カーランも「お前が先にやったんだ」と抗議する。 「優しく扱え、大事な所なんだ」 「だって、そんなに固くしてるからだろう」 「お前の言う準備をしておいたんだ、文句があるのか」 「いいえ、結構な事でございます」 しかしそれだけではまだ万全でなく、二人の必ず通らねばならない難所は、まだ続いていた。 「面倒臭い」 「やっぱ、代わろうか?」 「いい」 その難所に挑んでまでもと言うのだから。そう思えば、この過程は何と幸せなものだろうか。 「お前が女だったら良かったんだ」 「俺が?逆で、カールが女じゃ駄目か?」 笑って提案するも、カーランは至極真面目な表情で却下を言い渡す。 「サンタクロースの役は、男の仕事だ」 意味を解せず、首を傾げたシグルドは、唐突に、己の一年前の浮かれた発言を思い起こさせられ、呼吸困難に陥った。 「おい、締めるな。せっかくほぐれて来たのに」 カーランは無責任に不平ぶつ。 「女の子のサンタクロースだって、可愛いじゃないか。ミニスカートにブーツで」 「寒い中であんな格好をしていたら、体に良くない」 律儀だなぁと、カーランの手元を眺めながら何のとも曖昧な感想を呟けば、またそちらからも、 「へし折られそうで嫌なんだ」 と話題のすり替えられた応えが返って来る。大した言葉を交わさずとも、何でも伝わってしまう、伝わっているとの、甘えが。そんな筈ないと分かっていたつもりで、油断していた。遠くなって初めてだなんて、古今東西語り尽くされた教訓を。 「サンタクロースだったらさ、さしずめ、カールのは金の」 「黙っていろ」 唇であむあむとくだらない冗談を食い尽くされ、ゴクリと飲み込んだカーランが、一旦腹に収めてから、 「棒じゃなくて玉なら……」 と吐き返して、その彼らしからぬ発言は非常に、シグルドの緊張をクタクタに緩めてしまうには有効だったのである。 「くっだらねぇ!」 「お前のレベルに合わせてやったんだ」 「あぁおかげで脳みそまでトロトロ、鼻から出て来た」 吹き出し笑いと共に表れた弊害をズルズル啜り、しかめ面のカーランからちり紙を受け取り、興醒めの音をチンと鳴らしながら、 「いいから、早く挿れさせろ」 とのおねだりに、首を縦に振り応えた。 カーラン主導のセックスは、律儀で丁寧で、非の打ち所なく、とてもお上手で、だから彼のやり方がどうと言うのではなく、シグルドはつまり、自分の側が不向きであるのだろうと、数回の経験を経て薄々勘付いていた。それは彼も同じらしく、 「別に、お前は、悦くはないんだろう」 と拗ねたような呟きをシグルドの背後から漏らし、矢張りどこまでも律儀であると思う。しかしそこは、悪く言えば面白味も何もない彼のセックスの、非常に面白い部分であった。シグルドに、とっては。女の子には嫌がられないだろうかと内ではお節介心を働かせつつ、言ってやるのだ。 「そんなことないよ。カールのそういう声、聞いてるだけでヤバい」 「……ッどんな声だ…」 「そんな声」 腰を掴んである手を引いて、偽りではないだろうと触れさせて、投げられる普段通りの悪態の台詞をからかう。 「その、抑えた声、こっちはギリギリですみたいなの、すげー悦い。ほら、もっと確かめてみろよ。こっち嘘吐いてる訳ないだろ?」 カーランの手を掴んだまま、引かれようとするそれを逃がすまいと一層力を込め、握らせ、指を重ねる。 「すっげ、ガチガチ。熱い?カールのだって、俺ん中でそうなってるんだよ。先だって、ほら、ガマン汁止まんない。カールだってそうだろ?今抜いたって、ゴムん中グシャグシャなんだ」 重ねて動かさせていた指はやがて自発的にシグルドへと絡み、詳らかな確認作業から、ごく自然に愛撫へと変化する。今度は、本当に訪れた物理的な快感に、シグルドは溜め息を吐いた。 「あ、あぁ、気持ち良い、カール……そ、やって、俺にしてくれるみたいに、一人で……してたんだろ?」 「シグルド、お前……、お前だって……」 「そうだよ、俺だって……カールがしてくれるの、思い出して一人でしてた」 真っ赤な嘘だ。彼の事を思いながらなんて、した事がない。離れて、一度も。 そもそも一人でする方法を忘れてしまったかのようだった。したいと思えば、お互いのに触れた。自分がしたいと思えば彼も同じで、また彼がしたいと思えば自分へとそれが向く。一人ではどうしていただろう。考える程彼との記憶に混乱させられ、極力考えぬようにするしかなかった。きっと離れた場所で想われるのさえ迷惑なのだろうとの、思いもあれば尚更。いくら懐かしめども、戻れぬと思えば尚更、到底彼を思いながらなどできる筈もない。可能性のない事に思い馳せ、狂った妄想の中での独り遊びなど、苦しくて。自分はすぐに、捨て去って、しまった。 「熱い…お前の中の方が、全然、熱い…。ずっと、ずっと俺は…ッ」 カーランの律動でシグルド自身の身体もシーツの上でゆさゆさと揺れ動き、繰り返し、繰り返し、どちらが動いているのだったか。彼が高まり、またその指が彼自身に合わせてシグルドも追い立て、耳元で彼の荒い息使いが聞こえ、しかしそれはひょっとすると自分の息使いかもしれず、彼が指で擦り続けているのは、自分の腹の中を行き来し遂に突き抜けてしまった彼自身のものだったかもしれない。彼が彼の手を使い、懐かしい者を思い高揚しているのだ。 「シグルド……、ずっと、待っていた、俺は……」 「すまない、カール、……ッ、もっと、」 「ずっと、寂しかった……っシグルド、もう、ッ、ずっと……!」 「うん、うん、ずっと、居るよ……カールのとこ、これからは…ッ…」 カーランが犬歯を立てる背中から尾まで引き裂かれ、そこからサナギに逆戻りする蝶のように、ひとつになってしまえば、良いのだ。飛ぶ為の4枚の羽根など要らない。醜い無垢な身体で、狭い殻に籠もってぬくぬくと、惰眠の中で飛ぶ事を夢見るだけで。 元は一人きりだったと。男と女との一人ずつをこの世に堕としたとの、伝承。花の蜜を求め、仲間を求め、戯れ、やがて共には居られぬ存在だったと気が付き、漸く羽根など要らなかったのだと、ただの一人だった時を思い起こす。元には戻れぬ、分かたれる前の姿を覆っていた、今や目も当てられぬ、バラバラの、無惨な姿と化した自身の片割れだったものの前で。 「どこまで遡れば、俺とカールは一人の人間だったんだろうな」 カーランは眉間の皺をぎゅーっと深くさせた。今はまだ若いから良いが、癖にしているとじきに消えなくなるぞと、このお節介心は、今日はもう良いだろうか。 「お前は、時折訳の分からない事を言い出すな」 「アダムとイヴっていうやつさ。元々男は一人だろ?別にどっちか女じゃなくても、カールも俺も一人だったら不安も何もさ、満足だったんじゃないかって」 「しかも、先の自分の発言も忘れていると見える……俺には無かった事にするなだとか……」 「え?俺、何か言ったっけ?」 「いい、何でもない。少し寝るんだろう。早く明かりを消せ。起きていて始発で帰るならそれで構わんが、俺は寝るぞ。疲れた」 もそっと背を向けて横になり布団を被ってしまったカーランに、自分も寝ると言って、シグルドも慌てて横になる。背中から腕を回すと、一呼吸さえ置かぬ間にカーランは向きを反転させ、頭をちょんと浮かす。シグルドは苦笑いを堪えながら、その下に腕を差し入れた。 「カールは、暖かいな」 「冬だから」 「うん?」 「冬は寒いから……広告が」 「え?広告?」 「……明日、ホームで……ココアを……」 「………カール、寝ぼけて喋ってるのか?」 「……塩…、好きだ……シグルドが」 「うん?俺もカールが好きだよ」 「多分……」 「多分かよ」 最後の言葉は撤回して欲しかったが、カーランはシグルドの胸に顔を埋め、本格的な寝息を立て始めてしまった。その頭を撫でさすりながら、シグルドもやがて眠りについてしまっていた。 まだ日も昇らぬ頃、身を縮ませながら最寄り駅のホームに立ったシグルドは、何気なく辺りを見渡し、そして思わず笑い声を独り漏らしてしまったのだった。 「寒いから、……ははっ、そういう事かよ」 線路を挟んだ向かいにある広告の文字を途中まで読み上げたシグルドは、ならばと思い自販機を探す。それも難無く、見つかった。 確かにその通りだ。夏場は一列にさえ満たない赤いラインが、今は半分近くを占めている。小銭を取り出し、ホットココアを一本。口に含み、すぐに。 「うん、よくそんなの、覚えてるな……」 外で販売しているココアは、あまり好きではないのだ。度々、変な塩気の混じった味のするものがある。 「暖かい」 ホットココアを両手に包んで、外から深々と染みて来る寒さと、手の内から流れ入る暖かさを感じながら思い返す。二人だから、寂しい。そして寂しいから――。 漸くやって来た電車に乗り、窓から線路沿いのアパートを見上げる。明かりの点いている部屋はひとつとしてなく、皆まだ眠りの中に在るようだった。 次は何時会えるのだろう。ココアをチビチビと楽しみながら俯き思案を始めたシグルドは、すぐに顔を上げ、唇を釣り上げながらケータイを取り出し、思い返してまた仕舞い、しかしそれでも口端には笑みを浮かべたままだった。 一年後 終 |
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