二部屋

 

――ログインを開始しています

オンラインメンバーはまばらで、その殆どには「退席中」の文字が並んで表示されていた。
カーランはその日大学附属の図書館で借りた資料をモニターの前へ積み、一冊をパラパラと捲り始め、傍らで軽食を摘む。
日はまだ高く、静かな午後の室内に、程なくしてスピーカーから、軽快な音が響く。

――“シグ@大福ブーム再来”ログイン

続け様にチャットウィンドウが立ち上がる。

――ビデオチャットの招待

――カメラを接続しています


『よぉ!』
放たれたのは声変わりにはまだ遠い跳ねるような声で、カメラの接続が完了されたウィンドウには声の主の頭頂部ばかりがアップで映っている。
「バルトか、おかえり」
『何か食ってる!』
自分のウィンドウを確認すると、隅に辛うじて、それが映り込んでしまっているようだった。目敏いな、と感心する。
「サラダせんべい」
『いいなぁ』
「食べるか?」
映り方を確かめながら、カメラに向けて食べかけの菓子の小袋を差し出す。モニターの向こうでバルトはケタケタと笑う。
『食えねーよぅ』
「バルトはおやつ用意されてないのか?」
『んとな、遊び行くんだ。だからみんなになー』
「持って行くのか」
『ウン!』
バルトはそちらのモニターをじっと覗き込んでいるのだろう。ウィンドウには相変わらず頭頂部だけを映し、ゆさゆさと揺らしている。
『何してんの?』
「ん、あぁ……“宿題”だ」
『ふーん』
ゆさゆさと揺れる頭頂に尋ねてみる。
「バルトは、宿題は?」
『あるよ』
「遊びから帰ったら、するのか」
『ウン!』
それから少しの沈黙の後、動かないカーランの観察が飽きたのか、やっとバルトはその全貌を見せ、そしてすぐに小さくなり、姿をくらましてしまった。
大きな間取りの明るい室内に、開け放したままのドア。一瞬だけ訪れる、二部屋分の静かな午後。
そちら側の部屋のパソコンの前へ、すぐに舞い戻ってきたバルトは、テキストと筆記用具を抱えていた。
「おかえり。宿題を持ってきたのか?」
『ウン!』
「遊びには?」
『あとちょっと時間ある』
その間に少しでも片付けられたらと、思い直したのか。
モニターをチラチラと伺っている様子が見える。うん、と頷いてみせると、バルトはテキストへ目を落とす。頭を掻いている。その頭がだんだん落ちて来る。後頭部だけがウィンドウに映っている。
不意に頭が上がり、別のテキストを取り上げた。体の前へ、掲げて、表紙が映される。『こくご』。
『音読!』
「あぁ、聞いてやろう」
掲げたテキストが、そのままの位置で開かれ、すうっと息が吸われ、カーランは音量調節の為、マウスに手を伸ばした。
『スイミー!』
音割れのノイズも、AMラジオでも聴いているのだと思えば。ウィンドウのすぐ脇にあるゲージを中ほどまで下げる。支え支え読み上げられる、海の中の物語。小さな魚、スイミーには大勢の兄弟が居た。皆仲良く、暮らしていた。
『あっ!来た!』
妙に感情の込められたセリフと共に、バルトは椅子を跳ね除け立ち上がった。バシィンとテキストを叩き付け、
『いってきまーす!』
の声は既に遠く、静かな午後、開け放したままのドア。音量はもう元に戻して良いらしかった。カーソルをそこへ持っていき、ツツとゲージを引く。途端、バサ、バタバタ、と大きな音が上がり、カーランは思わず腰を浮かし、手を伸ばしかけ、一人で苦笑いを浮かべた。モニターの向こう側で、バルトが等閑に積み重ねて行ったテキストが転落したのだろう。分かっていながら直せないとは、何とももどかしく、気持ちが悪い。
椅子に深く腰掛け直し、意識を自分の“宿題”の方へと戻す。
ウィンドウに映し出されたままの部屋が、橙色に染まって来た。カーランは立ち上がり、部屋の明かりを灯した。
次にモニターへ目を向けたのは、既に、ウィンドウは何も映さぬただの真っ黒い四角形となった後だった。奥に見えていたドアの外形も、目を凝らした所で全く判別できない。ディスクトップ上で時計を確認し、読み耽っていた資料を閉じ、マウスに手を伸ばす。チャットウィンドウを閉じようとしたのだった。
手は止まった。真っ黒いウィンドウに、橙色の、長方形を象った光が映ったのだった。その中に大きな人影が抜き取られ、チカチカ、と一帯が白に点滅する。
色彩を載せた人影が歩み寄る。ウィンドウに映るのは胸元だけだったが、モニターを覗き込んでいるらしい事が、大まかな動きから分かった。
声を掛けようとして、マイクの接続が切れている事に気付く。生きているのはカメラ映像だけのようだ。
キーボードを叩く。

 カーラン の発言:
   お疲れ

カメラに向かって指先を小さく振る。

 シグ@大福ブーム再来 の発言:
   ただいま
 
向こう側で、シグルドもカメラを覗き込み、指でレンズの淵を突いた。

 シグ@大福ブーム再来 の発言:
   バルトか
   つけっぱなし

ウィンドウにはまたドアが映る。シグルドが屈み、映らなくなったのだった。バルトの散らしたテキストを拾っているのだろう。

 カーラン の発言:
   バルトはもう帰って来たのか?

シグルドは目だけ覗かせ、両手を伸ばす。

 シグ@大福ブーム再来 の発言:
   帰ったよ
   宿題見てくれたんだな
   ありがと

 カーラン の発言:
   スイミーの話をしてくれた

座り直したシグルドがモニターを覗き込み、肩を震わす。

 カーラン の発言:
   兄弟皆仲良く楽しそうに暮らしている様子がよく伝わって来た
   良い話だった

シグルドは首を傾げ、何事か発言を打ち込み始めたようだ。急ぎ先んじて、カーランは次の発言を送信する。

 カーラン の発言
  そこから先はネタバレだ。言うなよ

動きを止めてウィンドウに表示された文字を目で追うシグルドの表情は、険しくなって行く。

 シグ@大福ブーム再来 の発言:
   プロローグじゃないか

カーランはクックッと笑い声を漏らした。

 シグ@大福ブーム再来 の発言:
   宿題は終わったとか言ってたんだけど

 カーラン の発言:
   別の宿題は10秒で沈没していた
   遊びに行ったら忘れてしまったのか

モニターの向こうで、シグルドも沈没していた。肩を竦め溜め息を吐いたようだ。目線が微かに斜め上方向へと移った。新着メールの確認か何か、別の作業へ移ったのだろう。

 カーラン の発言:
   褒めてやれ
   遊びに行く前に取り掛かったんだ
   自主的に
   意欲をな

シグルドは目線を戻し、膨れ面を作り、発言を打ち込む。

 シグ@大福ブーム再来 の発言:
   カールはバルトにばかり甘い

 カーラン の発言:
   お前を考えれば偉い
   高校生のお前だって、俺が散々言わないと始めなかったのに

膨れ面は益々不細工になる。目線はまた斜め上へと戻る。

 カーラン@サラダせんべい の発言:
   小学生のお前はどうだったのやら

膨れ面が弾ける。

 シグ@大福ブーム再来 の発言:
   名前

 カーラン@サラダせんべい の発言:
   真似した

モニターの向こうでシグルドは腹を折って笑い始め、カーランも肩を震わす。シグルドは顔を上げてはまた吹き出し、笑い転げる。

 カール@サラせん の発言:
   宿題の続き、ちゃんと見てやれよ

 シグ@大福ブーム再来 の発言:
   スナック菓子か、せんべいか
   どっちかにしろ

シグルドは転がりながらも作業を終えたのか、口元を緩めたままで、

 シグ@大福ブーム再来 の発言:
   メシ支度して来る
   また後で

そう打ち込み、カメラへ向かって手を振る。カーランも応え、振り返す。


――カメラの接続が切れました

――“シグ@大福ブーム再来”オフライン

――ログアウトしています

二部屋 終
ぽぽ子

 


 

本編でもこんな風な遠距離恋愛可能なら良かったのにネー

バルト何年生でしょう。スイミーはちょっと学年下すぎる気もしますね…
教科書のお話、ちょこっと調べてみると、悲しいお話が多くて。
スーホの白い馬しようかと思ったら娘の父親な王様が死んだり、ちょっとバルトには…嫌なネタ…
ごんぎつねにしようかと思ったらやっぱりきつねが死ぬしw
いらないよ!鬱展開は!